Interview インタビュー

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海外営業マンインタビュー

海外営業マン001
海外営業マン 石橋征二さん
Mr. Seiji Ishibashi

1967年に語学系社員第一期生として鹿島建設(株)渉外部に入社。その後、同社米国法人鹿島インターナショナル社(K.I.I.)に25年間在籍し、アメリカ各地に駐在しながら国際営業マンとして、日本企業のアメリカ進出をサポートする。地元米国企業に対しても、鹿島の設計施工サービスについての広報・営業活動を行う。

鹿島インターナショナル ニューヨーク本社 取締役 営業担当副社長、鹿島建設本社 海外法人統括部 営業部部長兼営業統括部長を歴任。定年退職後も鹿島インターナショナル社関連会社The Austin Companyの東京事務所長職を2010年3月まで務める。

2016年には国家試験である通訳案内士の資格を英語で取得。日本と海外の懸け橋として今も精力的に活動を続けている。

(保持資格)
英検1級(優良賞)取得
TOEIC 965点(L495, R470)
通訳案内士(英語)

         

語学系社員第一期生でいらっしゃいますが、どうやって語学力を身に着けたのですか?

九州の田舎で育ったこともあり、高校1年生まで英語はどちらかというと苦手な科目で、あまり勉強もしませんでした。英語に興味がわいたきっかけは、2年生になって発音が非常にきれいな先生から英語を習うようになったことと、級友の勧誘でE.S.S.(英会話部)の見学に行ったら、たまたまゲストとして来ていたオーストラリア人に自分の質問が通じた喜びです。

そのままE.S.S.に入部し、テープ教材やラジオの英会話番組で独学しました。将来は英語の教師になろうと思っていたので、大学は英米文学を専攻。E.S.S.は大学でも入部し、英語の演説について勉強・訓練するスピーチセクションに所属しました。人前で話すことへの苦手意識を克服したくて、毎年、春と夏に開催される全校生徒を対象とした英語のスピーチコンテストにはすべて参加しました。外部のスピーチコンテストにも大学代表として参加し、たくさんの人の前で自分の意見を英語で発表する機会を数多く経験しました。

実際にこうした経験をしたことで、人前で話すのがそれほど苦にならなくなりました。世の中のいろいろな事柄に関し常に問題意識を持ち、それらに関する情報や資料を集めて自分の考えをまとめ、それを英語のスピーチとして作成し、暗記し、練習し、実際にコンテストで発表するという経験は、その後の実社会での仕事においても非常に役に立ったと思っています。

長年の海外勤務はどのように始まりましたか?

1976年、31歳の時に鹿島インターナショナル社(K.I.I.)のミネアポリス事務所に出向したのが始まりです。当時K.I.I.はロサンゼルスとニューヨークに支店がありましたが、ミネアポリスで地元のデベロッパーと合弁会社を設立し、高層の高級コンドミニアム開発プロジェクトに着手するために、ミネアポリス事務所を開設することになったのです。最終的には社長賞をいただくほどの大成功を納めたプロジェクトになりましたが、それまでには紆余曲折あり、最初は苦労も多かったですね。

具体的にはどのようなことですか?

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コンドミニアム建設予定地はミネアポリスのダウンタウン近くの湖のほとりで、周囲には他に高層高級マンションもなく、素晴らしい立地条件でした。ただ、1976年当時は米国の不動産市況は悪く、住宅ローンも金利が高いうえに、日本の大蔵省も不要不急の海外投資になかなか許認可を下ろさない状況でした。そのため、地元コンサルタントや弁護士に依頼した*フィジビリティスタディ(FS)の結果は、販売見込みについては悲観的な内容で、そんなプロジェクトに従事するのは正直不安でしたね。

私も含めた鹿島側からの社員3人と地元デベロッパー社員の関係は、プライベートではアパート探しから子供たちの学校の世話まで家族ぐるみで親身になってくれましたが、仕事では考え方や商習慣の違いから当初軋轢も多く、スケジュール管理、予算管理など、我々からしたら楽観的過ぎるとしか思えないことが多々ありました。

ビジネスの進め方の違いということでしょうか

例えば、仮に日本ではあることに6か月の期間を要すると思えば、余裕をもって7~8ヶ月のスケジュールを組みますが、現地デベロッパーの社長は逆に5か月で大丈夫だと主張する。我々がその主張を尊重して鹿島本社に5か月で実施可能と報告すると、結果的には我々が予想していた通り7~8ヶ月かかる。予算でも同じことが起きました。そして結果的に我々の予測が正しかったと判明した時点で社長に問いただすと、間違いを認め謝罪する言葉を期待している我々に、「自分も実際はそうなると思っていたが、自分自身を甘やかさないために敢えてチャレンジングな予定を自分に課したのだ」という(笑)。こちらは本社から怒られているのに、参ったな、という感じですよ。

当時の日本の会社では、社内で個人が意見を強く主張することはあまりなく、どちらかというと合議制で物事が決定され、その代わり個人が結果の責任を取ることもあまりないというのが、ビジネスの進め方でした。なので、自分の意見を強く主張し間違いをなかなか認めないアメリカのビジネスマンの姿勢には、大きな違いを感じましたね。特別なケースだったのかもしれませんが・・・。

ミネアポリスの次はニューヨーク勤務ですね

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ミネアポリスでのコンドミニアムプロジェクトの成功後、1979年に鹿島の米国での不動産開発専門会社、カジマ・デベロプメント・コーポレーション(KDC社)が米国で設立されました。私にも、ミネアポリスにとどまりKDC社で不動産開発事業に従事してはとの打診がありましたが、KIIで設計施工の営業をすることに興味があったので、希望を出して1979年1月にK.I.I.ニューヨーク支店に異動しました。折しも日本企業の工場の米国進出ラッシュが本格的になる直前のことでした。その後2001年9月まで23年間、K.I.I.の設計施工部門で営業に携わりました。

2001年9月というと、あの9.11事件の時ですね

ええ。あの年の9月11日は火曜日でした。同じ週の土曜日に私は任期満了で帰国予定だったのです。あのような悲惨なテロ事件が起こり、結果的にはワールドトレードセンタービルに事務所があった日本企業得意先の仮の事務所を探すお手伝いをした後、アフガン戦争が始まる直前の10月に、ほとんど乗客がいない飛行機でニューヨークを離れました。長年住んだ国でしたし、自分の中にわずかにアメリカに対する未練が残っていたのですが、9.11事件で心に区切りがついたと感じましたね。私の友人・知人も3名犠牲になられました。

その間、日本で働かれていた時期はないのですか?

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あります。1984年から1986年末までK.I.I.に出向の身分のまま東京本社に戻り、自動車メーカーの工場案件の入手に向けて営業をしていました。当時はそろそろ日本の自動車メーカーが米国に生産拠点を設けるのではないかと言われ始めていたころで、私が日本にいた3年間でマツダ自動車、三菱自動車、スバル・いすゞ自動車が米国工場建設を決定され、KIIがそのすべてを設計施工ベースで入手できました。

日本での営業経験が全くなかった私にとっては、この三年間が日本式営業の学びの期間で、とてもいい勉強になりました。私は、米国でのプロジェクトに関しては、できないことはできないと初めから言うのが結局はお客のためにもなると信じ、正直ベースで営業していましたが、社内からは「お客に対しNoと言うな。何でも努力してやりますと言え」と言われ、お客からは「これができない、あれができないというなら鹿島に頼む意味がない」と怒られました。

米国でも日本式のビジネスをやれと言われるお客には、商慣習、法律、下請け関係、価値観、美意識から人生観まで、日本と米国、日本人と米国人の間には数多くの違いがあり、日本式では進まないこともたくさんあるのだと伝えました。日本での3年間は、日本式営業を知るとともに自分の営業スタイルを改めて認識し、鹿島本社の営業マンやお客に対しても米国での建設業のやり方や商慣習を伝え、理解を求める期間でもありました。また国際間のビジネスの難しさを強く感じた期間でした。

国際営業職を目指す若者や日本企業の海外営業マンに、一番伝えたいことは何ですか

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3つあります。

ひとつは自分の会社の業務内容、製品、技術力などを明確に正しく理解し、各時点で当該国において顧客に対しどのような業務をどの範囲まで提供できるかを正しく判断するということです。そのためには、常に現地事情を含め、社内外で関連情報や知識を取得するための努力を怠らないことです。

2つ目は、顧客が外国人である場合はできればやはりその国の言葉を習得して商談を行うべきです。最近はほとんどの場合、英語でビジネスが可能だと思いますが、その英語も流暢に話せないようではビジネスの成否に影響が出ます。「通じればいいのだ」という人も時々いますが、私はできれば国際営業マンは努力して勉強してきれいな正しい英語を身につけて欲しいと思います。話し言葉だけでなく、特に書いたもので英語が文法上間違っていたり洗練された英語でなければ、せっかく自分の会社が立派な技術や製品を提供できる場合でも、お客にとってはなんとなく取引に不安を感じる要素になるかと思います。自分が会社を代表しているという意識が大事だと思います。

3つ目は、どの言語であれ言葉はあくまで自分の意思を伝える手段です。話す中身を備えていなければいけません。会社の技術や製品についての知識はもちろんのこと、日本および当該国の歴史や文化や政治や芸術などを日ごろから勉強し、一般教養を深めていくことも国際ビジネスマンとしては重要なことだと思います。今日までに仕事上はもちろんのこと人間的にも魅力があって素晴らしいと感じる外国のビジネスマンや日本のビジネスマンに何人も会ってきました。私も彼らに少しでも近づきたいと思い、日々努力しているつもりです。

*フィジビリティスタディ(feasibility study)とは、プロジェクトの実現可能性を事前に調査・検討すること。「実行可能性調査」「企業化調査」「投資調査」「採算性調査」とも呼ばれ、「FS」と略記される。

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